なぜ泣くのか?
2016.07.25
今日は、山口からわざわざ新幹線に乗って一家総出で体験、相談に来てくださいました。

みんな個性がそれそれ光っていて素晴らしかった。
なぜこの子たちが学校生活に困り感を感じなければならないのか
良くわからなかった。
もちろん、不器用さや苦手なことはあるのだろうけれど、
そのことで必要以上に傷つくことは避けられないことなのだろうか?

私は子どもたちからも話を聞くことが多い。
週末から行く沖縄合宿でも子どもたちそれぞれと話をする機会を設けている。
彼らが本当に感じていること、考えていることを聞きたいと思うから。
何が良いとか悪いとかではなく今の気持ちを聞く。

で、勇気を出せずに言えないこと
出来ないことがあるなら背中を押してあげたいとも思う。

小さい子が泣くのは
それ以外の表現方法を知らないからだと思っている。
その内大きくなるにつれ、泣かなくても自分が思うことを言葉にすることができるようになる。
言語化できるものは言語化すると気が楽になる。

けれど、面白いもので、大人になっても泣く事がある。

大人になって泣く時は
誰かにわかってほしいというよりは
自分自身に自分のことを分かってほしいからだと思う。
気持ちに蓋をしてしまっていることに
その蓋を取ってしまったら、そこから言葉で表現したいものじゃなく涙で表現したいものがあふれ出て
涙で表現してしまう。

それは、決して言語化できるものじゃない
不思議なもの。
それは、ただただ黙ってみていてほしいもの。
そっとしてほしいもの。
そんな気がした今日でした。

最後はやっぱり子どもって良いな~(^◇^)です。(笑)
2016.07.25 18:53 | 固定リンク | つぶやき
どうぞ~このまま~♬どうぞ~このまま~♬
2016.07.06
大阪は酷暑です。すでに・・・。
まだ夏休みに入ってもいないし、
7月に入って間がないのに。

うってかわって
東京は涼しく
北海道は寒すぎるらしい・・・。

どうなったんだい?地球さん。


さて、子どもたちが指折り数える夏休みが近づきつつあります。

私の指導する学校の夏休みもあと数週間後。

本日も指導に行ってまいりました。
二十歳前後の若者。


今日はなんだかみんな良いやん!

欠席者が居るのは当たり前なのですが、
今日は授業始まる直前に駆け込んできた生徒が2人。
これでいつも出席する生徒がそろった。(^_-)-☆

学習、ワークシートに関しても
めっちゃ積極的(^O^)

考えてわからなければ
「実物作れば良いやん」と紙で図を作成し始めた。

別の生徒はいつもより素敵な文を作り、
他の生徒はどんどん課題をこなし、
私が「やりたいとこ、好きな教科のところしるししたら印刷してあげるよ。」って言ったら
「じゃあ、ココとココと・・・」って

なんという向学心。

みんな良い感じで脳機能アップしてきました。

けれど、後1回で夏休みに入る   Σ(゚д゚lll)ガーン

どうぞ~このまま~♬どうぞ~このまま~♬と歌いたくなる私でした。(笑)



若者でもやっぱり「発達」するよ。
「発達」するというのは慣れてできるようになるのではなく
状況に応じてしっかり向き合い、対処できるようになることね。(^_-)-☆

今日もうれしい一日でしたm(__)m
時間は止められないし、過去は変えられないけどそこから学ぶことはある。
2016.07.03
こんにちは。
夏になってきました。

けれど、子どもたちは元気で
療育に通ってきて私たちに元気と希望を与えてくれます。

先日、「アリスインワンダーランド2」の映画を見てきました。

3Dの字幕で見てきたので
映像美は素晴らしく、それぞれのセリフが自然に耳に入ってきました。

哲学的なセリフや
心を動かされるセリフ
思わず涙ぐむようなセリフが満載でした。
原作とは全く異なる別の映画として出来上がっています。

大人の人が見る映画だと思いました。


中でも
「時間は止めることができない。」「過去を変えることはできない。」ことは
いまさらながらですが、
なんだかしっかり受け入れることができた気がした。

「あの時に戻って、その出来事を起こらないようにすれば・・・。」
「やり直すならあの頃に戻ってやり直したい。」と思う人も多いかもしれません。
(私は、何一つ思わないけれど(笑))

同じようにアリスも思って過去に戻るのだけれど・・・

障害があるかもしれない、あるいは障害がある児であるということが分かって
しばらくしてそのことを受容できたなら
こんなことを考えてみたりします。

何が障害の原因だったんだろうか?
あの出来事がなかったら、障害なく生まれてきたのではないだろうか?

母親は特に自責の念に駆られる。

けれど、今回の映画をきっかけに
「これで良かったのだ。」と深く思えるのではないかと思う。

私はめったにプライベートの話をしない。
(取るに足りないどっかに行って何かを食べたということは言うけれど)
なので、私がシングルマザーであり、二人の子どもを育て上げたことや
子どもが発達障害の傾向児であった(昔なので診断はもらっていないが)
ことは今までにほとんど話したことはない。
少人数の内輪の話では語ることはあったけれど。

先日の山口の講演会では
私のことや子どものことなど
初めて大人数の前で話した。

それは、私と子どもお互いが私が思う自立し、
幸せに生きていることを実感できる日々になったからである。

そして
いつも話すが、「障害があるとかないとか」ではなく
「幸せに人間としての生き方を全うするかどうか」

でも、その言葉でさえ、「障害」と言う言葉を身近に感じない人が
いくら言っても誰の心にも響かない。

「障害児や障害者」を本当の意味で自分たちと何ら変わりないのだということを感じていない人が
いくら言っても重みはない。

自分が言っていてなんだが、
「障害者は」とか「障害児が」とか表現するのは大嫌いである。
そんなこと関係がない社会になってほしい。
そうしなければ「ダイバーシティ」も「インクルーシブ教育」も実現しない。


私は私の家族とともに幸せに生きることができて良かったと思う。
過去に戻りたいとは思わない。何かをやり直したいとは思わない。

そして、きっと皆さんもそうだろうと思うし、
そうあってほしいと思う。



2016.07.03 19:28 | 固定リンク | つぶやき

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